このところ、年度末という事もあり忙しく立ち動いていたため、例によって更新が滞りがちであった。
3月初めに仕入れでお客様のところへ4日ほど通い詰めで、その後東京出張などもあって店を閉めていることも多く、お客様には大変にご迷惑をかけてしまった。
何分にも原則的には一人で切り盛りしているので、何か用事が出来ると店を閉めて出掛けなくてはならない。
どうにかしたいところではあるが、人を雇えるほど売上がある訳でもないので、致し方がないところである。
暖冬だといわれた今年、3月だというのに金沢ではここ数日も積もるほどではないにしても朝方には未だ雪がちらほらと降っていたりもする。
3月初めの仕入れでもちょうど雪が積もり始め、珍しく早めに普通タイヤに履き替えていたのを、仕方なくスタッドレスに履き戻した。
先日の東京出張では車を使って行ったので、スタッドレスのまま往復1,100キロ余りを走ってしまった。
たまたま東京にいた日に、朝ホテルを出発すると車窓にチラホラと淡雪が降りかかるではないか。
これは気象庁の観測史上(1876年以降)、最も遅い初雪なんだそうな。
気象庁によれば、これまで最も初雪が遅かったのは1960年2月10日で、今回はこれよりも34日遅いという事になり、記録を47年ぶりに更新したとの事だ。
まあ、積もるような雪ではなかったが、万一積もっても私としてはちっとも困らない。
なにしろフルタイム4WDにスタッドレスタイヤ装着なのであるから、鬼に金棒状態なのだ。
でも本当に積もってしまえば、道路はパニック状態で自分だけが動けてもどうにもならないから、やっぱり降ってもらっては困るという事なのだったが…
さて、そんな話を書こうと思ったのではない。
今日は先だってからのエントリでもお伝えしていた、店の改装工事が終了した事をお伝えしたかったのだ。
今回の改装では、1階前面の屋根瓦葺き替え、入口サッシドア交換、2階前面窓と板壁の改修、エアコン室外機の目隠し設置、店舗前面庇テント設置、そして最後に新しい看板の設置であった。
写真でもお判りのように、従来は180センチしかなかった入口高が高くなり、これで背の高い方も背を屈めて入店するという様な事がなくなった。
二階前面の壁と窓もしっかりとしたものになり、これで風の強い日の吹き込みがなくなるであろう。
入口サッシと二階のサッシ窓には格子を入れて、ちょっと古風な感じを演出してみた。
従来からの二階の窓は明治時代のものであろうか、古い木の窓枠のコーキングが老化してガラスが脱落をし始め、応急処置としてスチロ−ルの波板で前面を押さえていたので、見栄えも悪かったのだが、エアコンの室外機に目隠し板が建てられたのも伴い、これでやっとスッキリした外観になった訳である。
さてしかし、今回の改装の目玉はやはり庇テントと看板の設置であろう。
このテントは、金澤表参道のまちづくり協定で定められた統一感のある街並みのため、統一規格のものを設置したのだが、電動で出し入れが出来てすこぶる具合がよい。
さらに、屋根には今回木製の看板を設置したのだが、その文字は皆さんが今ご覧のこのブログ「近八の古書徒然日記」のトップに置いてあるバナーと共通のデザインのものである。
この書は、加賀の名僧石川舜台が、5代目近彌二郎に揮毫して下さったもので、実物には、横に「節堂台書時年八十有八」と記してあり(節堂は舜台の号)、舜台師は昭和6年90才で歿しているところから、この書が最晩年のものである事が窺われる。
看板の素材はとてもしっかりとした一枚板で、重厚な良い看板に仕上がった。
これに夜間は照明が当たる様になっており、とても目立つ様になる事と思われるのだが、一つ問題が残っている。
それは、写真でご覧のようにこの看板の屋号には色が入れてないのである。
この方が良い感じではないかと店装屋さんの社長が色を入れずに持って来られたのだが、ここが悩みどころである。
結局、色は入れずにしばらく様子を見る事としていたのだが、仕事帰りの家内が店に寄ったので看板の感想を聞いてみたたところ、第一声が「遠くから見ると店の名前が読めない。」であった。
慌てて大通りの向こう側に渡って見てみたところ、確かに屋号は読めず、屋根にただ一枚の板が載っているだけに見えてしまう。
これじゃあ看板としての機能が果たせていないのではないかと、悩みは更に深まってしまった。
夜になってライトアップされればまた状況は変わるのだろうか?
ともかくもう少し考えてみるつもりである。
いずれにしても、今回の工事をお引き受け頂いた「スペースプロデュース・ナカムラ」並びに「第一テント商会」の両社には心より御礼申し上げたい。