金沢市長町の観光スポット武家屋敷の通り、聖霊病院の向かいの露地を曲がった奥にある
木の花幼稚園が、創立百周年を迎え、
昨日より記念式典を開催しているとの記事が本日の地元紙の金沢欄に載っていた。

長町の壁(夢二畫集 旅の巻口繪より)
その記事や、
幼稚園のHPを見ると、加賀藩ゆかりの歴史ある幼稚園だという事が判る。
さて、古本屋の興味を引いたのは、この幼稚園に
竹久夢二が訪れスケッチをしたものが、本になって出版されているという事柄であった。
早速調べてみたところ、その本は「夢二畫集 旅の巻」という本で、原本は明治43年に洛陽堂という出版社から刊行されている。
当時の定価は70錢、いかにも夢二らしい浪漫溢れるカバー繪の一册である。

夢二畫集 旅の巻 カバー(見開き)
この旅の巻の金澤に就いての記述部分は十二頁、挿畫は十五を數える。
夢二はその部分で金澤の女について、この様に述べている。
「京都女が能の面なら、金澤の女は内裏雛といはふ。現實的な京都の女よりは、夢見てゐる加賀の女が好い。主君のため、御佛のためとゆくえをきめてしまって、なるようにしかならないのだと、すべてを運命に託して、その日その日を心安く暮らしてゆく、古い時代の金澤の女が好きだ。」
この明治43年はハレー彗星が地球に大接近した年で、金澤行はその最中であったらしい。
当時「ハレー彗星の尾が地球をくぐると一時地球上の空気がなくなってしまう」というデマが巷間流布され、その瞬間の呼吸を確保するためにタイヤチューブの買い占め騒動まで起っているというのだ。
当時の新聞報道についても「五月廿日の新聞紙は、慧星は今非情なる速度で我地球に近づきつヽあり、明日はその最も地球に接近する日なれば、凶事のなからむことを願いたいと報じた」と、大いに関心を寄せ、不安を感じている様子が伝わってくる。
金澤には再接近の直前に滞在しており、一時は心配で帰京を予定していたが、結局京都へ向かう事となり、その車中、米原付近でその瞬間を迎えた様だ。
その時の心境を夢二は「A君。慧星に驚かされて金澤から新橋までの切符を買ったが、京都の人々に逢わねば濟まぬと思返して、米原から七條へ乘り替へた。」と記述している。
また、「私の乘っている客車には、海軍の若い士官とその許嫁とも見える女と、小共をつれた二十四五の婦人と外に洋装の男が三人ゐる。どの人の顔を見ても、死ぬ時に手をとり合って地獄極樂の話を共にしたいと思ふのはない。男と女、人と人、それは永久に交る期のない平行線かもしれない。けれど私はたヾひとり旅の空で、音樂もなく、文學もなく、握り合ふ手もなくて死ぬのはいやだ。汽車はいま近江の境を越えてゆくらしい。」とも、その心境を綴っている。
さて、この本だが原本はある程度の状態でも四〜五万はしてしまう。
しかし人気のある夢二の事とて、復刻版が出ているのでこれであれば数千円で入手可能である。
ちなみに今回の引用も、ほるぷ出版から複刻された「初版本複刻 竹久夢二全集」からさせて頂いた。
当店にて二千五百円にて販売中です。
よろしければご来店の上、お手にとってご覧下さい。
ようやく古本屋らしい話題になった本日のエントリでした(汗)